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nisemono_sanの日記

2013-07-03

再掲 -- 裏声で歌え浜崎あゆみ 08:24

僕たちの思い違いをしている『恋空

携帯小説として爆発的な人気を誇った『恋空』。多くの人々が批評を書いていたが、たいがいの場合は、そのストーリーにおけるリアリティの無さにたいする突っ込みだったように思う。たとえば、「レイプシーン」であったり「妊娠シーン」におけるリアリティの無さ。確かにそれらのシーンにリアリティはない。僕が携帯電話で確認した限りではレイプシーンは1pにも及ばなかったからだ。しかし、僕は実際に読んで勘違いしていると思ったのは、おそらくこれらの読者にとって、「レイプシーン」がリアリティのあるものとしてあると到底思えなかった。僕ですら、「レイプ」というものがどれだけリアリティがあるものかは分からない。それは、ファイナルファンタジーにおいて登場人物が死ぬくらいの「リアリティ」しかない。にも、関わらずそれらは支持された。

問題は、おそらく「レイプ」やら「妊娠」というところにあるのではない。それらの描写の緻密さを持ってきて「この小娘は何も理解していない」と絶叫するたびに、僕たちもそれを理解することはできなくなっている。問題はその描写がはらむ全体的な構造としての意味だ。

男は果たして信頼できるだろうか?という問い

先に結論として出しておくとするならば、あまりにも陳腐な問いだ。この小説の裏側に存在している問いは、《男は果たして信頼できるだろうか?》という問いだ。というのも、この小説における主人公はまず最初の判断材料として「軽いか否か」を持ち出してくる。「軽い」ということは、皆さんもご存知の通り、「ほかの女子に対して簡単に言い寄るか否か」である。たとえば、合コンに出てきたときや、初対面の男子に対して容赦なく主人公は「軽い」という言葉を出す。簡単に言ってしまえば、「軽い」ということは、その男性が信頼ならないことをさしている。

もちろん、《男は果たして信頼できるだろうか?》という問いには前提条件がついている。それは言ってしまえば《信頼に値するほどの男子》として、その男性が《イケメンである》という前提条件がついていることは疑い得ない。なぜならば、《信頼に値するほどの男子ではない》ならば、《信頼するかどうか》などということは意味がない。たとえば、主人公の前に現れる男子がブサイクだったらどうだろうか?そもそもそういう人間は《信頼に値する》以前に眼中には無いが、そこは娯楽小説のいわば都合の良さであるが故に、ほっといておこう。問題は《男は信頼ができるかどうか》だ。

果たして、私たちが何かを《信頼できるかどうか?》を図る基準はなんだろうか?簡単に言ってしまえば何かの障害にあたったときに、その障害を乗り越えられるかどうかが信頼度のカギになってくる。逆に言ってしまえば、信頼が無ければ障害を前にして、そこから撤退するようになるだろう。そのように考えるならば、レイプおよび妊娠というギミックは《この男は信頼できるか?》という問いに適している。実際に、恋空において、レイプにおいて絶対に被害者を見つけ出すといきがる部分であったり、妊娠した際に対して両親に説得してまわったりする、主人公の彼氏が出てくる。また、堕胎したときに、水子供養に欠かさずやってくる主人公の彼氏などの存在がそれを際立たせている。

決定的な傷を受けることができないということ

さて、このように述べたときに、私たちは『恋空』の不愉快さも取り出さなくてはならない。《男を果たして信頼できるだろうか?》という問いはそもそも《自らを果たして信頼できるか?》という問いに転換させることができるだろうか?と問いをついにしてみよう。実際に、もし何かしらに対して信頼できるか?という問いをする以上、自らの信頼の度合いに対してもまた問いをしなければならない。しかし、『恋空』をよく読んでみれば、その問いが良くも悪くもリアリティを保っているということだ。どういうことか?

自分自身、恋空において、非常に不愉快な気持ちになったエピソードがある。主人公の彼氏と口論をしてしまったときにいいよってきた主人公の男友達がいる。その男友達に対して嫉妬した主人公の彼氏が校内のガラスを割って、その男友達に罪を擦り付けてしまう。そのことで、男友達は中退を余儀なくされる。

『美嘉だよ。わかる?』

『もちろん!何かあったのか?』

『タツヤと話したいって人がいるんだよね…電話かわってもいいかな??』

『おー!いいよ!』

ヒロにPHSを手渡した。

『おぅ』

緊張している様子のヒロ。

『ん?誰だぁ?』

『7組の桜井弘樹。お前を殴ったやつ』

『お~。どうした?』

『あん時悪かった。便所の窓ガラス…あれ割ったの実は俺で…』

ヒロは美嘉に聞こえないよう、

離れた場所で会話をしている。

『知ってる。でも俺気にしてねぇからさ!あの時俺も熱くなりすぎたし』

『俺のせいでごめんな』

『マジ気にすんなって!そのかわり美嘉の事泣かすなよ。泣かしたら奪うからな!まぁそれは冗談として許さねぇから!』

『おぅ、お前いい男だな。マジで悪かった。今美嘉にかわるから』

いや、もうすこし怒るところがあるだろうに、と外から読んでいて思ったし、俺、この「軽さ」こそが理解できなかった。そもそも高校を中退してしまうという事態が、どれほど重いものなのかは俺には検討がつかないが、それでも「重いものだ」ということは理解できる。問題は、このような「重いものだ」ということに対する「決定的な傷」の欠如である。それは恐らくほかの読者からみれば非常にリアリティの無いものに見えるし、ある側面ではリアリティの根っこにすらなりうる。この両面性をちゃんとつかまなくてはならない。

どういうことか?それは彼女が加害者側ではなく、被害者側にいるという非対称性の担保によってこれは行われている。その非対称性の担保は純粋性において、主張されうる。どういうことか?それは恋空において執拗に繰り返される「感謝」という言葉に表れうる。「感謝」というのは、例えば上記のような加害者性が極度の場合においてすら、「感謝」という言葉において流されてしまう。また、妊娠したときに、彼女は両親には何もとがめられず、ただ彼氏が両親を説得するという非対称性にも現れる。俺がよくわからないのは、この場合において、両親のショックとはこの程度なのか?と思う。普通に考えるならば、お互いの両親が責任というものを突きつけあうのではないのだろうか?

リアリティという檻

無理やりまとめてしまおう。僕が思うに『恋空』のリアリティは次のように縮減されうる。すなわち

  • 《男は信頼できるか?》という問いのリアリティ
    • しかし、この《男は信頼できるか?》という問いそのものが自らが《被害者》であり、《純粋》であるという部分から発せられるものである。その理由はあらゆる体験において、圧倒的な傷というものを持たないし、また持ちようも無い
    • このような《被害者性》こそがもうひとつのリアリティになっているという仮説

ここまで形式化してしまうと、彼女たちが持つであろうリアリティというものが何処と無く鮮明になるだろう。そして、そのリアリティが何を見ているのか、自分にはよくわからない。