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nisemono_sanの日記

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2010-10-01

アンダーグラウンド・コネクション――第一章・MADの歴史(中編・1) 12:23

個人複製技術から個人編集技術へ

もちろん、そのような録音スイッチのオン/オフというアナログで「原初的な編集技術」があったとしても、同時にコンピューターの存在もまたあったことを忘れてはいけない。そして、以外に軽く見られてしまっているコンピューターに「Amiga」がある。

「えっ、AmigaってそんなMADの歴史で重要なの?」というと、それが結構大有り。一九八七年に「Amiga」は「MOD」というファイル形式を生み出したからだ*1。「MOD」が何かというのを説明するのは少々難しいが、MIDIに音源が入ったファイル形式だと考えるとわかりやすいかと思う。あるいはピストンコラージュとよばれる、音を引き伸ばしたりできる作曲ソフトのお兄さんみたいな存在だと考えるのも、間違ってはいないように思われる。ちなみに、このMOD平沢進も一時期使っていた。

Amigaは、ロゴを入れたりするさいに使われていたという証言があるものの*2、直接的には「MAD」のシーンには余り関係が無い。にしても取り上げるのは、これが「編集」という技術を大きく変化させたからだ。MODはその後の「ナードコア」と呼ばれる音楽シーンを作るのに下支えした。もちろん、ナードコアまでに波及するのにはまだ時間があるものの、「原初的な編集」が「切り貼り」であることから、「素材そのもの」を変化させるという方法がありうるということを示す萌芽みたいなものはあったと思われる。

「再現」への飽くなき欲求

さて、その一方で必ずしも「MAD」とは言えないものの、「再現」という部分からすれば、コンピューター文化で触れなければならない重要な文化シーンが存在する。それはパソコン通信MIDI文化である。パソコン通信はご存知の通り、インターネットのお兄さん的な存在。パソコン通信では、電話回線から通信端末であるモデムを使い、ホストと一対一で接続する。そして接続したときには、基本的にはテキストベースで表示される画面に、コマンドを打ち込むという形によって、掲示板を閲覧したり、あるいはそこに書き込んだりする。一九八六年にNiftyと呼ばれる有料のパソコン通信掲示板が生まれる。しかしパソコン通信は必ずしも会社運営の「有料」のホストだけではなく、有志や同好の間によって「無料のホスト」が運営されていることも多かった。その「無料のホスト」は”草の根”のように現れることから、「草の根BBS」と呼ばれ、その一つに「ゆいNET」*3が存在していた。

なぜこれらの文化において「ゆいNET」が重要なのか。というのも「ゆいNET」がアニメやゲーム音楽を耳コピしたMIDIが大量にアップロードされていた場所でもあったからだ。もちろん、これらの存在は著作権にはグレーゾーンであったことは間違いない。JASRACMIDIに目を付け始め、事件になる二〇〇〇年頃の事件を考えるならば、まだ目を付けられていなかったと推測するが、推測の域を出ない。

それは兎も角として、確かに「MIDI」によってアニメやゲームの音楽が「耳コピ」されていたとして、もう一つ重要な文化というのもまた存在している。それは「MIDI」に付属していた「WRD」というファイルである。「WRD」とはMIMPI*4というソフトウェアが発明したもので、これを使用することにより、歌詞を表示したり、画像を表示することのできるようになる。実際に「WRD」が実装された経緯に関しては不明だが、これによって、アニメのオープニングを再現したりするような「職人」が誕生した。恐らく、「WRD」が実装された経緯は、カラオケの流行や、LDディスクの存在と結びついている*5のはあるだろう。

「再現」と「コンパクト化」という文化

さて、「MAD」の歴史を考える上に置いて――というよりも、コンピューターの歴史自体において――、結果として「意味」をなくしてしまったと思われる文化が一つ存在する。それは「コンパクト化」の歴史である。コンパクト化とは何か、といえば容量を出来るだけ少なくする作業のことを指す。

プログラムの文化にしても、最初はメモリや容量の戦いから、いくら読みにくい、わけのわからないプログラムでも、それがメモリを使わず、容量を使わないで実行できることが良いとされていた。また、MODの歴史にも書かれているように「MEGADEMO」という文化が存在していたのも見逃してはいけない。さまざまなコンピューター、および家庭用ゲーム機(!!)で作られた「MEGADEMO」は、まさにメモリと容量に対する技術力を集めて製作されたものである。簡単に言ってしまえば「この機械で俺の技術ならここまで出来る」ということを追求するための「DEMO」である。そして、その「DEMO」はハッキングであり、あるいはゲーム改造という文化と水脈を共にする。ハードディスクにしても、一九九五年頃に1GBで五万円程度であることを考えるならば、容量を湯水のように使うことは、自殺行為であるとすら言える*6

なぜ、MIDIやWRDという形式が選ばれたのか、といえば、ここに対する要因が存在する。つまり、出来るだけ容量を圧縮しながら、如何に高クオリティの「再現率」を保つのか。現在は既にDVDディスクを複製したとしても、それほど気にならない人が多い時点で、このような「再現」というのが、また別ベクトルを持ち始めたことは記憶に留めるべきだろう。ハードディスクとの戦いが、その当時の限界と技術力で「仕方なく行われた」ことが、今は既にそれが「ノスタルジー」として受け止められるという歴史の過程がある*7。また、当時の回線が非常に弱く、最高でも28.8kbpsくらいの速度でしかなかったことも付け加えておくべきだろう。

このように、コンピューターにおいて「MAD」という表現が一般的になることはまだ先のことではある。容量の関係上、やはりその流通は同好会における上映会、あるいは同人即売会などの経路を辿っていたことは推測が可能だ。だが、同時に「静止画MAD」といわれるような、あるいは近い部分であるならば「Flash文化」の表現に繋がるような可能性が萌芽し始める。

もう一つ、可能性として指摘しておくならば、「MADの想像力」自体がそのコンピューター、あるいは機材の限界と密接に関わっている可能性を指摘しておく。というのは、ある機材の再現性がまだ貧弱である場合、むしろ人々が意識を向けるのは、その機材において音を再現するということ自体に集中されるのに対して(初音ミクの”調教”に関してはこれに当たる)、その「再現性」が十分である場合、むしろそれを加工したり、あるいは変化させるということに重点を置くはずだ、ということである。これに関しては仮説の粋を出ないが、十分に考えられるべきだろう。

MAD的想像力の水脈としてのゲーム文化

しかし「MAD的想像力」と言われるさいに、恐らく重要になるのは、ゲーム改造文化の側面であるだろう。まずオフィシャルに行われた「ゲーム改変」としては、一九八六年に製作された「オールナイトニッポンスーパーマリオ*8を指摘しておきたい。これは当時ニッポン放送任天堂コラボレーションし、クリボー中野サンプラザにしたり、パックンフラワータモリにされたロムであり、リスナー限定でプレゼントされたものが、その評判により公式に販売されるようになった過程を踏んでいる。

ポイントになるのは、決してビデオ文化だけが「映像文化」を担っていたわけではないということであり、既に「ゲーム」というのが同時に新しい「映像文化」として浮上してくる。「MAD」を「切り貼り」とし、そのシュールさを楽しむという考えからすれば、また「ゲーム」という問題が浮上してくるといってもいい。さらに述べるならば、ゲームが他の映像作品と違うのは、ゲームの場合はキャラクターデータが別に格納されており、そのキャラクターデータを改変することによって、まさにシュールな世界観を作り上げるということが可能になる。

また、いわゆるゲームセンター文化における「改造ゲーム」の存在もまた指摘しておきたい。ギャラクシアンスペースインベーダー、あるいはストリートファイター2などの「改造ゲーム」の存在が存在している。これらは、もちろんグレーな領域によって作られ、あるいは他のゲームと差異を作るための、子供だましみたいなものであるとは言えるのだが、ポイントになっているのは、「何かしらのデータが存在するならば、そのデータは改変が出来る」という事実が、既に当たり前のように考えられていたということだろう。

もちろん、この自体が一般的な問題ではない。業務者が改造することと、個人が改造することはかなりの隔たりがあり、個人が勝手に改造するまでには、エミュレーターの普及が必要になってくる。だが、恐らくはここにおいて「如何なるデータも、データである以上改変できる」という理念だろう。そして、この「改変の妙」が表現として面白いと理解される場合、それはゲームの改造ではなく、むしろその表現をなぞるといった「静止画MAD」的なあり方へと結びつく。

日本のゲーム文化が特殊なのは、このような「ゲーム改造」というあり方が、オフィシャルであれ、アンオフィシャルであれ、存在していたということの事実だろう。そして、そのような「節操の無さ」が、私達の表現に対して間接的に影響を及ぼしている、と私は考える。

蛇足・エミュレーターとハックロム

蛇足とはいえ、恐らく今後触れないながらにしろ、重要な問題であることの一つに、「ハックロム」と呼ばれる存在の確認をしなければならないだろう。ハックロムとは、ファミコンスーパーファミコンなどの、家庭用ゲームソフトのカセットから、ゲームソフトバックアップし、そのデータを改変して、ステージを作り直したり、あるいはキャラクターを変更したりするソフトの一群である。自分の記憶によれば、「NESticle」*9というエミュレーターソフトが、その内部で「キャラクターデータ」を改変できるようになっている。開発が二〇〇一年頃からぱったりと止まっているが、既にそのころには多くのハックロムが出回っており、その認知度や改造のしやすさから、スーパーマリオが選ばれることが多かった。

これらハックロムに関しても、元々は「ハックロム」を作ること自体が面白いということになるのだが、解析及びデータの改変、ならびにツールの整備が進むにつれて、一つの「表現」としての選択肢として選ばれていく。現在における「全自動マリオ」などの存在は、むしろ「ハックロム」というあり方の認知と、それに携わる人々の「ツール」との関係によって規定される。私達に圧倒的に足りないのは道具の歴史であり、この道具の歴史こそが私達の表現を変えていっている。

*1:参考:404 Not Found

*2:実際には日本の「MAD」製作においてはMSXのほうが多いという証言もある

*3:参考:ゆいNET - Wikipedia

*4:参考:MIMPIv4

*5:参考:カラオケ歴史年表

*6:参考:教えて!Ziddyちゃん - ハードディスクの歴史について

*7:蛇足ながらに追記すると、プログラミングの歴史自体が、スパゲティプログラム/構造化プログラミングオブジェクト指向という過程において、メモリやCPUが劇的に向上していくパソコンの歴史と平行しており、この関係自体がコンピューターにおける表現の歴史と同様に平行していることは頭の隅に置いておくべきだろう。

*8:参考:http://kikaim.s8.xrea.com/game/ds/annsmb/annsmb-2.htm

*9:参考:Nintendo - NES Emulators - Zophar’s Domain

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