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nisemono_sanの日記

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2010-10-06

アンダーグラウンド・コネクション――MADの歴史(中編・3) 12:12

機材と言う親密さ

MADの歴史が、少なくとも「ポップカルチャー」と無縁では無いのならば、私達は他のジャンルからも平行した歴史が編めるはずである。

まず一つにMADの歴史が、例えばラジカセ、ビデオデッキ、コンピューターという「機材」という道具の歴史と、それが内包する録音/録画技術と無縁ではないことを確認した。そして、それらは、いわば「サンプリング」を多用し始めるエレクトロ・ミュージックと無縁ではない。また、MADの持つ視線そのものが、「大衆的」なメディアの享受と結びついているということが問題であることは間違いない。MADの歴史的には七十八年頃に既に最初の「MAD」が発生する事態から、さらには八十六年に「とらけっと」等のMAD動画が誕生すると言った経緯は、当時「テクノポップ」と言われていたYMOと、ナゴムに所属していた「空手バカボン」や、電気グルーヴの前身とでも呼べるべき「人生」というバンドの歴史と並列して語ることが出来るだろう*1

古典的な音楽を何かしらの形でカバーするということ自体はそれほど珍しいことではないとは推測するものの、しかしシンセサイザーが持つ響きは恐らく今までの楽器とは持ちうる快楽とはまた別様の感覚を持っていた筈だ。例えば八〇年代においてはYMOに対して、平沢進率いるP-MODELや、巻上公一によるヒカシューなどがデビューしていたが、彼らが相対的には文化的資本が高かったこと(つまり、何処かインテリっぽかった)は、覚えていても悪くは無い。それはYMOヒカシューが「民俗音楽」を意識したり、P-MODELが技術に対して意識的であったことと関連している。もちろん、それはシンセサイザーが高価であり、それを手に入れるようとすること、あるいは手に入れられることが出来るのは一種のハイ・カルチャー所属の人間であったこととは無縁ではないかもしれない。

しかし、YMOライディーンがパチンコ屋でかかる位に有名になり始めると、むしろこれらの「ハイカルチャー性」が削ぎ落とされ、むしろ「ポップ」な、あるいはもっと言うならば「スカム」的な表現へと行き着くだろう。「スカム」というのは「クソ」ということである。既にその「スカム性」については、一九九五年に山本精一スタジオボイスにおいて言及している*2が、註の参考文献において書かれているように、その土壌を作ったのがその当時にスターリンINUなどを生み出したパンクムーブメントである可能性は大きいだろう。多くの作品がその洗練された故に表舞台に出てくるのに対して、むしろ圧倒的に洗練されない「アンダーグラウンド」な音が多く存在していた筈である。むしろその洗練のされなさ、圧倒的なバカバカしさへの意思が働き始める。もちろん、それを語るためには前史としてのコミックバンドの存在(例えば横山ホットブラザーズであったり、ドリフターズであったり)もあるが、しかし後に現れるのは、コミックバンドが持ちうるユーモアというよりも、むしろシニカルさだ。

MAD史において、なぜわざわざ「テクノポップ」の言及が必要なのかと言えば、繰り返されたように「機材」の歴史との関わりにおいて、参考になる部分が多いからだ。ある技術が誕生し、その技術が使えるようになる機材/パッケージが生まれた当初は、むしろそれが「高級なモノ」として現れるが、それが大衆化するにつれて、むしろその洗練のされなさこそが「ポップ」なものとして現れると言う平行関係がそこにはある。そして、もっと重要なのは、その「洗練のされなさ」こそが面白さ=ポップさを持つという視野が誕生するということである。MADも同様に「洗練のされなさ」=切り貼りということこそがその意思として大きく重要になる筈だろう(だからこそ「スカム」も語らなければならない)。

実際に、例えば「空手バカボン」において一九八三年に発売されたEPに収録されている「あの素晴らしい愛をもう一度」を聴くとわかるように、その奇声やシンセのチープさという戯画的な意向、また「人生」における「オールナイトロング」(一九八六年)はその歌詞の下品さなどを考えるならば、それらが如何に「くだらないもの」として洗練させていく意思が見えるのかが理解出来る。八〇年代において、恐らく発掘された感性というのは、MADにしろ、テクノポップにしろ、「くだらなさ」への意思であり、それが「ポップ」であるということだろう。そして、それは「機材」という誕生、マスメディアが持つ「ポップ」に対する冷や水という意味でも大切だろう。というのは、「あの素晴らしい愛をもう一度」がフォークソングとして存在感を放っていたことを理解するとわかりやすい(ちなみに、有頂天は後に「心の旅」をカバーする)。

替え歌/あるいは勝手歌詞

少なくともMADの歴史が受け手とのメディアの関係を表現と言う方面から表出してきた総体であることはあるにしろ、そこで必要になるのは「替え歌」というベクトルだろう。確かにカバーというベクトルがその歌詞/曲を”尊重”しながらも、その”尊重”からは逸脱していく。「歌詞/曲」という組み合わせが当たり前に「ポップ・ミュージック」の前提になっていたが、「テクノ」というあり方は、その「歌詞/曲」という関係を切り離し、「曲」だけを演奏する。しかし、「歌詞/曲」という組み合わせが前提になるときに、その曲を聴いていたら「歌詞」が聴こえてきたのかわからないが、勝手に歌詞をつけるというあり方はある筈だ。例えば「空手バカボン」による「来たるべき世界」(一九八八年)は、YMORYDEENという曲に歌詞を付けて歌うということをやっていた。

また、歌謡曲/ポップ・ミュージックというあり方に対して、替え歌の面白さというのが生まれてくる。その当初に作られたMADが「替え歌/一番と二番を適当に歌うちゃんぽん歌詞」だったことを考えるならば、元々そのような面白さというのは発見されていたと推測は出来るが、それが一つの作品として出てくるためには、ある一定の過程を得なければならないだろう。もちろん、替え歌自体は古くからある。その最初を辿るならば『日清ちびっこのどじまん』における「ブルー・シャドー」の替え歌が四方晴美によって歌われる*3というのがある。また、その中で初期の頃に出てきたのは、タモリの『タモリ3 -戦後歌謡史-』(一九八一年)*4だろう。もちろん、それが風刺的な意味を持ち、非常に意識的な高さを持つことが、不幸だったのかどうかはわからないが、それらが怒りを買ったこと*5は間違いない。

そのような替え歌がポップさとアンダーグラウンドさを持っていたことは間違いないのだが、そのポップさが映像と結びついたものを考えるならば、「やまだかつてないテレビ」(1989年 - 1992年)における、KANの「愛は勝つ」(1990年7月25日発売)のパロディである「愛はチキンカツ」だろう。山田邦子パロディ歌詞を歌いながら、その歌詞に合わせて食べ物がカットされたり、あるいはベルトコンベアに運ばれてその食べ物が現れたという演出は、少なくとも以前の「替え歌」というあり方の進化を伺わせる。またそれに並列してタモリ倶楽部において「空耳アワー」の前史である「あなたにも音楽を」(一九九二年)が開始されることを考えるならば、「替え歌」や「空耳」と言うあり方が一つのコンテンツとして認知されてきたことは間違いない。

さらに言うならば、その「コンテンツ」の享受のあり方が、一九八〇年代や一八九〇年代における「お笑いブーム」による土壌があることは間違いない。少なくとも「面白い」ということが「魅力的なことである」という発見を通じなければ、それが許容されることもまた無いだろう。というのも、それが権利関係と同時に剽窃を許容する/容認する/流通する過程があるということもまた事実であろうからだ。そして、「愛はチキンカツ」という映像であり、「空耳アワー」という映像であったり、本来そこに無関係なものが現れるだけで「面白い」という発見は、MADの関係と大きく関係しているだろう。

ゲスト



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